2005/8/25

2005/7/92005/7/9 旅立っていくスタッフ達
10年近くお店をやっていると本当にたくさんのお客様との出逢いがあった。
そして同じように本当に多くの子達と一緒に働いてきた。
一日で辞める子もいれば、何年も共に働いてくれる子もいる。
感情的に怒りをぶつけてくる子もいればもくもくと機械のように働く子もいる。
いろんな子がいろんな理由で、偶然で、必然で、なんとなくぼくのお店の門をたたいてきた。
今でこそそれなりに社長をやり、少しは広い心を持って触れ合っているつもりだ。
でも起業当時のことを振り返るととんでもない経営者だったと思う。
一人一人の気持ちを理解しようという思いすらなかった。正確に言えば
分かっているつもりだったというほうが合っているのだろうか。
自分の目線でしか物事が見れなかった。ぼくの常識しかなかった。
その結果、スタッフとの関係は、冷たいもので言い合いも絶えなかった頃もある。
スタッフ同士のいがみ合いも絶えず冷め切ったお店になっていた。
ぼくは、どうして変わることができたのかとても不思議だ。
今では、ほとんど怒ることもなく、比較的良好な関係を築いている。
日々、大きな失敗、小さな失敗が繰り返されていく。
誰にでも失敗はある。ぼくにも失敗はある。当然のことだ。
怒っても自分の腹いせにしかならないし、あとでなんであんなこと言っちゃったんだろうと
自虐してしまう。怒るよりは、なぜそんな間違いを犯したかをきちんと分かり合うこと。
大抵は、ぼくの方のトレーニング不足だったり、説明が足りないことが多いんだけど。
だからそんなミスをさせたぼくが悪いと誤ったりします。
そんなぼくの子供達と言いたいが、兄弟ほどしか歳がまだ歳が離れていないので、
ぼくの弟達や妹達にしておきます。彼らもここを巣立っていきます。
経験やスキルを上げる為、他のお店に移ったり、引き抜かれたり、違う業種に移ったり、
その理由は、さまざまです。独立して自分のお店を持つ子もいれば
店長として迎えられる子もいます。うちのお店では、メニュー作りから広告、計数管理
ExcelにWordにデザインソフトまで覚えていくので結構重宝されると思います。
お店の企画なんかもチームを作って行うのでお店の新規オープンの時なんか
とても役に立つんじゃないかな?
前述したとおり完璧な人間はいない。それぞれ長所があり短所がある。
ぼくは、長所を伸ばしてあげ、短所は、本人が気付き直すように手助けをする。
でも最後まで気付かない子もいる、そのまま独立したり、ほかで店長または、
指導する立場になったりする。そこからは、自分でどうにかしなくてはならないのだが、
やはり心配なものである。一日も早く良き経営者、店長、リーダーになって欲しいものである。
そんな彼らのお店が雑誌などに取り上げられるとうれしく思う。
がんばってるなってニコニコしてしまう。本当にがんばって欲しい。
『湯川さんに色々なことを勉強させてもらったから今のぼくがいます』なんていってくる子も
いるけどあんまりうれしくない。そんなことより今いるお店でお客様に喜んでもらう方が
何倍もうれしい。教えた甲斐があったってもんだ。ってぼくも自分をほめられる。
みんなぼくに何か教えてくれ、気付かせてくれる。ぼくに欠けているもの未熟なもの
いいところも教えてくれる。ぼくは、彼らに感謝し、彼らの幸せな未来を願う。
別れても好きな人ってところでしょうか。

2005/6/10 飲み屋と早起き
カーテンがないせいか朝日が強くなる8時くらいには起きてしまう。
コンビニで84円の野菜ジュースを買い、パン屋で84円のパンを1つ買う。
週6日種類は変えるが同じ金額を払う。
残りの1日は、毎週火曜日のパン屋の定休日。
この日だけは、いつも困っている。この日の朝食は、前日の夜からどうしようかと悩んでしまう。
今ぼくが解決しなければならない問題の1つだ。
朝食を食べ、ピアノを弾き、午前の仕事に行く。
最近は、業者さんなどの打ち合わせは、10時とかにアポを入れることが多くなった。
みなさん逢うと口を揃えて言うことがある。
『ゆかわさん、徹夜明けですか?』って、そんなに顔色が悪いのだろうか。
飲み屋のアポは、大抵、夕方である。早くても午後1ってとこだろうか。
飲み屋は、早起きしては、イメージが良くないようだ。
昼過ぎまで寝て、寝ぼけた顔で仕事に来るのが良く出来たイメージらしい。
以前までのぼくも遠からず近からずというところでしょうか。
12時前に仕事を切り上げ1時間泳ぎ、ぬれた頭のまま、
週6回、同じ食堂に行きいつも同じとろろごはんを食べる。
とろろごはんは、大好きだ。昔から滋養強壮に良いと重宝されてきた。
峠の茶屋には、麦とろ飯で有名なところが多いのは、旅の疲れを癒すご馳走だったからだ。
ぼくにとってもご馳走である。週6回食べても何の不満もない。
同じ金額を週6回払う。せっせと働くおばちゃん達もずいぶんと顔見知りになった。
だって週6回同じ時間にぬれた頭で同じメニューを頼む人なんてそうはいない。嫌でも覚える。
残りの一日は、プールの休館日。この日は、別のプールに行くか、ゆったり苑に行き、サウナ三昧。
松浜に最近出来た、ゆったりのんびり寝てサウナのキャッチの『秘方癒楽』に行ってみたいが、
残念なことに定休日が重なって行けないのである。眠れる低温サウナもそそられるので時間のあるときに
是非行ってみようと思う。
ずいぶんと日差しが強くなってきた。もう夏の日差しだ。
そろそろメニューも夏を意識したものに変えなくてはならない。
2005/5/18愛すべきスタッフ達
社内では、肩書きで呼ばない。ぼくは、社長だが、苗字にさんを付けて呼んでもらう。
店長も同じだ。取引先の方々にもそうしてもらうようにしてもらっているが、出来ない人がいる。
社長と呼ぶほうが慣れているし、楽だからだ。
この会社は、下克上だ。ぼくより仕事が出来れば社長になってもらいたい。
店長になって欲しいと思っている。
社長だから社長の器があるのではない。世の中の社長もピンきりだ。
豊田自動車の社長も社長だし、自分ひとりでやっている会社も社長だ。
役があるからそう呼ばれても意味がない、その実力があってこそだと思っている。
役に追いつけない人は、ダメ社長など社長の前に○○社長と付けられる。
実力が伴えば肩書きで呼ばれなくてもスタッフ達は、そう思ってくれる。
よい上司だと感じていれば、それでいいし、そうならなくてはいけない。
スタッフ達との関係だが、今は、逆セクハラにあっている。
一例だが、
湯川さーん、ヨーグルトオレンジが入りました。ヨーグルト45ccお願いします。』
今日3杯目ですね。がんばって出してください。』
こんな言葉が日常的に返される。飲み会になるともう歯止めが利かなくなってしまう。
特に上下関係に縛られることはない。仲間たちである。ぼくは、この子達から多くを学んできた。
ぼくもこの子達に多くを伝えていると思う。それは、仕事だけではなく、経験やアドバイスを含む。
だれでも自分にしか分からない悩みをもち、それと葛藤しながら生きている。
ぼくは、話を聴き、ぼくも話をする。ぼくも人間である。悩みの1つもある。
この子達もいずれは、ここを去るときが来る。長い子もいれば短い子もいる。
でも一生愛すべき子たちである。
2005/5/18 湯川マッチョ計画
明後日誕生日を迎える。35歳になる。
大学を出て10年になる。コラムでも書いたとおり、起業10年を迎える。
なんだかこの誕生日は、自分にとってとても大事なような気がしている。
今までの誕生日は、日常の中の一日と同じように過ぎていた。
30歳に、みそじと言われる歳を迎えたときも特に変わったこともなかったのに
今年は、その日について強く考えてしまう。
別に友達、スタッフを集めて誕生パーティーを盛大にやろうというわけではない。
見失った自分、なるべき姿、忙しいを理由に諦めてしまったこと、自分に努力していないこと
こんなことを毎日考えている。
取りあえず肉体的にマッチョになろうと思う。
10年前にあった体重に戻したい。でもただ体重を増やすだけだと、中年太りになってしまうので
きちんと運動をして胸板の厚い男になるのである。
そのために少しでいいから必ず3食たべる。昼間は、1人で仕事をしているのでなんとなく食べそびれることが
多く。1日1食もざらにあった。食べることも、とても努力のいることなのである。
プロテインを食事のあと必ずとる。食が細いので必要と思い、ドラッグブジイに買いに行った。
初めてだったのでお店の人に聞こうと思ったらあいにくお昼時でレジにパートのおばさんが
1人いるだけだった。時間もなかったのでとても、とても躊躇したがそのまん丸と太ったパートの
おばさんに失礼ながら『太りたいのですが、どうしたらいいか?』と訪ねた。
ほほえましく笑ってくれ、『まぁ、うらやましい』と皮肉もなく返してくれた。
ぼくは、ただ苦笑いするしかなかった。
太っていることも悩みだが、痩せていることも悩みなのである。
そして運動だが、プールに通っている。マシーントレーニングは、あまり好きではない、
学生の頃は、スポ根だったのですが、腰と間接がよくない。肩は、よく外れる。〔すぐ入る〕
だから、間接や腰に負担の少ない全身運動は、水泳が一番だと思っている。
今は、週に2,3回は、通っている。昼間のプールは、おじさんとおばさんしかいない。
若い人?は、ぼくしかいないので、おばさんたちの目の保養になっているに違いない。
ひたすら水中歩行をしている。汗が流れてくる。ランナーズハイになって、何も考えなくなる。
頭の中で詩を読んでいる。とめどなく。
これは、1つのステップで簡単にマッチョには、なれないだろうが、その一歩であることに違いはない。
他には、早起きをすること。
仕事の中心が夜なので甘えて遅くまで寝ていることがあったが、キチンと起きることにした。
睡眠時間は、今までの半分近くになったが、特に問題も今のところない。
朝起きて、家の前にあるコンビニでドリンクを買い、道の向かいにあるパン屋でパンを買い、
部屋に戻ってニュースを見る。このパン屋は、夜中の2時に出勤してくる。やはりパン屋は早起きである。
そして身だしなみ。
ねぐせで出勤しない。おしゃれに気を使う。
お店では、ユニフォームに着替えるのでついつい何でもいいやと思っていたが、これもきちんとしようと思う。
どれも当たり前のこと簡単なことに思うかも知れない。でもそれすら出来なかった。
『どうしたら、お店が流行るのか?』とよく質問される。
ぼくは、答える。『当たり前のことを当たり前にやればいいんです』と
ぼくは、ぼくに対してその言葉を当てはめなくてはいけない。
マッチョになったあかつきには、ピアノを習おうと思う。愛すべき人のために弾けたらいいと思う。
その次は、社交ダンス。〔Shall We Danceより前から考えていたのでその影響ではありません。〕
そして忙しさを理由にしない。
2005/4/22消えていくもの
私の父は、仏壇木地師という仏壇作成工程の最初の大枠を作る仕事をしていた。
実家の隣には、二階建ての工場があり、子供の頃からずっと私の遊び場になっていた。

景気のいい時期もあり、工場の外には、材料となる木材が天日に干されていた。
廃材を組み立てたり、基地を作ったり、焚き火をしたり、かくれんぼをしたり、親の道具を勝手に使って怒られたりしていた。
そんな工場が去年なくなってしまった。国道のバイパスを作るために立ち退きにあってしまった。
工場に隣接している今は誰も住んでいない私の生まれた祖父母の家とともにあっけなく更地になり、
眺めが良くなってしまった。実家に帰ったときは、よく工場をぶらついた。真っ黒になった薪ストーブがあり、
廃材を燃やしてこれも真っ黒になったやかんで親父は、来客が来るとお茶をふるまった。
ストーブの周りには、工場が出来たときからあるのでは、と思えるくらいの古い椅子と
クッションもスプリングも利いていない座り心地の悪いソファーがあった。
わたしは、そこが好きだった。座り心地の悪いソファーに座って親父の入れた出がらしのかすかにお茶の色をしたものを飲むのが好きだった。
きっと親父も好きだったと思う。ぼく以上に。
10年前に大学を卒業して新潟に帰ってすぐにお店を始めたときは、ここでテーブルを作ったりした。
ブーケブランの椅子もテーブルもここで作った。
あの時は、正直終わらないと思った。テーブル22台、椅子100脚はつらかった。
今は、もう木の匂いをかぐこともできない。私の中にあった一部がなくなってしまった。
それは、時間を追うごとに大きな喪失感となっていく。
続けていくこと、残していくことは、とても大変なことである。
新しいお店は、次々にでき、知らぬ間になくなっていくお店もたくさんある。
『私のお店がなくなったら、こんな気持ちになるお客様はいるのかな』っとふと思う。
そんなお店になれたらいい。続けていかなければならないと思う。
2005/4/7 10年という歳月について
この9月で起業して丸10年になりす。その日が近づくにつれて10年について思いにふける時間が長くなってきました。
囚われていると言った方がいいかもしれません。
単純に『生まれた子が10歳になり、小学4年生になる。10歳の子が成人を迎える』長さ。

私で言えば、25歳から35歳になり、身長は変わらず体重は5〜7K減り、白髪が増え疲れやすくなった。
お店で言えば、1店舗が3店舗に
スタッフで言えば1人から30人に増えた。
誰にでもあるように辛いことうれしいことがあり、人並みの努力と多くの幸運にも恵まれ、今に至っていると思う。
技術的には、パソコンも覚え、計数管理、原価計算、経営管理、広告戦略からメニュー、デザイン、
日曜大工にいたるまで多くのことが出来るようになった。
でも人間的な心の豊かさはどうだろうか? 
ここで働いてくれているスタッフ達に温かい心を持って接しているのだろうか?
この10年で多くの自分を『失って』『捨てて』『代償として』しまっているかも知れない。
10年前に持っていたもの、溢れる情熱、冒険心、可能性、数え切れない夢、前に前に突き進む力、
何でも出来る気がしていた。
本当に角ばったとげとげした自分が今では、すっかりつるつるのまん丸ないい大人になってしまった。
でも失っては、いけないものがたくさんあるのでないかと強く思うようになっている。
それがなければ、次の10年を迎えられないような気がしている。
だから今、この10年をたどり続けている。自分の頭で考えるだけでは、事象と時間がかみ合わなかったり、
埋められない空白があったりと、とても多くのことや気持ちを忘れていることに気づく。
今までもらった名刺を見返したり、年賀状を見返したり、一緒に働いていたスタッフ達の履歴書を見返したり、
売上や日報などを見たりして補っている。
その時々の気持ちを思い出すのは、とても難しく根気のいる仕事だ。
でも、思い出さなくてはいけないし、きちんと整理しなくてはいけない。
そして『失ってはいけない何か』を拾い集めなくてはいけない。これからのために。
お店は、人対人から成り立っている。お客様がいて働くスタッフがいる。
どんなにすばらしい箱〔お店〕があっても、人がいなければ始まらない。
温かいお店は、そこで働くスタッフが作り上げる雰囲気であり、
そんなスタッフを育てるためには、私が温かい人間でなければならない。
会社人間になり、人間味のない人になってはいないだろうか?
私は、スタッフ達に夢を与えなくてはならない、わくわくさせなくてはならない。
それができないのなら社長の資格もないし、いい店を育てることさえ出来ない。
9月までに私は、私を組み立て直し、次の壁を登り始めなければならない。
2004/11/22
中越地震が起きて明日で一ヶ月がたとうとしています。
被害に遭われなくなられた方々のご冥福と被災された方々の一刻も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
地震が起きたのは、土曜の六時くらいこれから忙しくなる時間帯でした。
本震、余震が立て続けにおき、もうそれからは、本当に大変な死ぬような思いの一ヶ月の始まりでした。
電話は、かかり難くなり、予約の方々は、キャンセル又は、連絡も取れない状態が続き、
電話が通常になれば、それ以降の予約のキャンセルの電話ばかり、二週間分の予約がキャンセルになりました。
当グループで予約のみで200万以上の損害が出てしまいました。
しばらくは、開店休業の日々が続き、運転資金ももう数日というところまで来ました。
幸い、本当に幸いに新規の融資を受けることが出来、この窮地を抜けることが出来ました。
本当に助かりました。
これから12月の忘年会シーズンですが、普段のお客様の入りに戻るのは、
来年の3月くらいになるのではと考えています。
心では、被災された方のお役に立てるようボランティアなどに参加したいのですが、
自分自身の、お店の、スタッフの生活を守ることで精一杯な自分がとても情けなくなりました。
テレビや新聞の報道を目にしながらもどうにも出来ないのは辛かったです。
新潟の観光産業をはじめとした、サービスに携わる方々も大変な日々が続きますが、がんばりましょう。
2004/7/29 最近の一人笑い
災害ボランティアに参加するにあたり、前日に長靴を買いにコメリ、フットタウン・
イザワ、ムサシをはしごしました。
私と同じような理由で購入する人が多いのか、どこも品薄でようやく三件目で買うことが出来ました。
学校の駐車場に着き、つなぎに着替え、頭にタオルを巻き気合を入れてから長靴に履き替え、
勇んでボランティアセンターまで歩き始めましたが足がいたい、だんだん痛くなる。
右と左の長靴のサイズが違うではないか!!!!
サイズを見るとき右足しか試さなかったため左足は、2サイズ小さいものを買ってしまった。
結局1日の重労働をびっこでする羽目になってしまった。
次の日、モモからお尻、ウデが納得の筋肉痛まではいいが、左足のつま先の痛みには、苦笑い。試着は、ホント気をつけないと。
2004/7/21 7.13水害に当たって
7.13水害にあたって災害にあわれた方々の一日も早い復旧を心より願います。
私も、8.3水害にて大きな被害を受けたものとして、現在おかれた環境、やり場のない気持ちを思い起こしました。
7/21には、早朝より微力ではありますが、災害ボランティアにも参加しました。
現場に行くまでは、私一人でどうなるという後ろ向きの考えにとらわれておりました。
派遣先は、新興住宅地にあります、築数年の新しいお宅でした。
新潟、新津より参加された方とエプロン製菓学校の学生さんと6人で1日縁の下の泥かきと消毒をしました。
縁の下へもぐっての作業でスコップが使えなかったので腹ばいになりながら泥をかき出す手作業はとても大変です。
6人で一軒のお宅を一日がかりです。仮にボランティアなしで自分だけですることを考えるとものすごい重労働です。
帰り道は、とても疲れていましたが、役に立てたんだなと満足感を感じることが出来ました。
テレビや新聞では、何百、何千人のボランティアとひとくくりにされますが、
その一人一人にとても人間くさい温かみのある無償の助け合いがあったと思います。
本当に多くのボランティアの方々の参加を心よりうれしく思います。
被災された方々にとって、まだまだ、普段の生活に戻るためには、長い歳月を必要としますが、
何年か先にこんなことがあったと大変だったんだと笑える日が来ることを心より願います。
私にとって8.3水害がそうであったように。そのとき復旧するために作った借金を今もコツコツと返していますが、
私は、今も、元気に生きていますし、楽しく仕事もしている。お客さんには、ここまで水が来たんだと笑っていえる。
だから、前を向いて、気持ちを強く持ってください。

ボランティアでご一緒になった宮澤さんのホームページです。
のぞいてみてください。

http://www.tiny.jp/

2002/11/15
2002/9/1
2002/5/10
2002/1/吉日